発達障害人は世界を救う。天才病応援家のTomomiです。
発達凸凹キッズの子育てをしていてどんなにもがいてもモヤモヤが残った経験から、モヤモヤや違和感の原因を考えてみました。
療育とコミュニケーションクラス
うちの場合は、子どもが保育園時代に療育へ通い、小学校にあがってからは
学校にコミュニケーションクラスがあり、そこに週2回授業を抜けてそちらを
受けるようになりました。
他の親御さんとのかかわりで、そのことがわかるとどうも気まずそうに
「そのクラスって何?」(どういう子が行くところ?と聞きたいけど聞きにくいような感じ)
など聞かれましたがそのころ、自分の中ではそもそも
人に説明しようとしていなかったのでうまく伝えることができませんでした。
※コミュニケーションクラス(特別支援教室)
知的な発達の遅れはないが発達障がい傾向のある子について、
発達の課題に応じた個別(or小集団)指導を週に1~2回行う通級指導教室
※療育
障がいのある子ども、発達障がい傾向の子どもへの「医療」「教育」の造語といわれている
自分や自分の子どもが発達障害傾向だということは、無意識に拒否したわけで、
どうしてだったか考えると、発達障害=普通出来ることができない、社会不適合者、可愛そうな人
というイメージからでした。
日本の療育制度、小学校の特別支援教室にしても、特性に凸凹のある子どもたちの凹を埋めるための教育が主で、
特別な教育を追加して、苦手でみんなについていけない部分を埋めていこうという、、、
そんなイメージが受けさせている親の方にも伝わってなんだかいたたまれない気分になるものでした。(個人の感想)
療育の内容をきめていくときに親が先生と面談してシートに記入しながら話し合ったりしましたが、
困っていることを話して、それができるようになるプログラムを組んだりする感じ。
確かに集団生活の中での困りごとはトレーニングしてくれるのだけど成果もあったりするのだけど、
どんなに通ってもなんか残る違和感。。この違和感って何なのだろう?
違和感に向き合った
疑問:私は子どもたちにどんな風に生きてほしい?
大きくなるにつれて集団教育、集団生活で困りごとが増えていったけれど、
私が心底避けて通りたかった、日本の小学校、義務教育の時期になった。
なぜ避けて通りたかったか、
自分の学生時代がとんでもなく嫌で、あまり思い出したくない記憶であったから。
今思えばみんなと同じことを同じ基準でやらされて、競争させられて、決められた時間にだけ、指示されたことだけ
やる必要があり、枠内に入っていれば褒められる、出来過ぎてもいじめられる、苦手な子がいてもまんべんなく仲良く
遊べないと怒られる、勉強は暗記命で点数命、小学校から徐々に刷り込まれる意味不明な縦社会、
大きくなれば受験戦争に打ち勝っていい学校に入り、いい会社(なるべく大きい会社や公務員)のルートに乗れなければ
ほとんど社会不適合者と呼ばれる。はみだしたら、最低限のレールからはずれたら、人生どうなるかわからない恐怖。
いつ気づいたのかな、日本の義務教育って優秀な会社員を量産する教育なんじゃないか?って。
療育のことで少し心配はあれど、子どもが幼いころの育児は楽しくてかわいくて子育てを楽しめたりしたが、
先の小学校入学のことは無視して忘れようとすらしていたと思う。
ランドセルをそろえるのも全く楽しみじゃなくて、ぎりぎりに間に合うようにだけそろえたし、
入学式なんて、かわいい子どもたちを悪魔の義務教育(あくまでも私のその時のイメージ)
に放り込まなければいけない苦しい儀式であった。
やっぱり、私は相当無意識に日本の義務教育が嫌いで合わなかったことはたしか。
じゃあどうだったらよかったんだろう。
結論
わたしは、のちにADHD傾向があることがわかってから納得したけれど、合うわけがなかったんだった。
ADHDの特徴には、
不注意、多動性、衝動性 主にこの3つが特徴といわれていて
忘れ物多い、興味のないものに集中力0、人と同じことできない、落ち着かない、
すぐ飽きる、人に合わせられない、じっとしていられない、思いたったらもういない、
などよく言われる不の特徴ですが、ようは、集団教育、集団生活苦手です。
調べるうちにたどり着いた知識では、福祉、教育側からのADHD人って、
国が作りたい人物像に相反する特性の人たちで、その理想とされる平均的にまんべんなく疑問を持たずに
従える人像からはみ出したり従えない、だから実は3つの特徴の裏側にある良い面はほとんど一般的には知らされていない。
子どもの療育、コミュニケーションクラスを受けさせる上での違和感って、これだったのかもしれません。
どうみても社会不適合者にならないように頑張ってついていこうね!としか受け取れなかったんだ。
発達障害の日本でのイメージがそれなら、周りの人もそりゃ、はれ物をさわるかのように
接してくるわけです。
その後、発達障害人の知られざる面を知って、
発達障害人にとってハッピーな学生時代や社会生活を迎えるための特性に沿った教育ってないのかな??
はみ出すからって障碍者扱いっておかしくないのかな。
調べまくる時期にはいりました。
また書いていきます。